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石見神楽(いわみかぐら)

社中のホームページ 木ノ口神楽社中 左鐙神楽社中 長福千原座社中

kagura

石見神楽とは

神様を祀るとき、曲に合わせて舞う神事を神楽といいます。神楽は「神座(かむくら)」の語から転じたものと言われ、中でも石見一円で行われる神楽を総称して 石見神楽と呼びます。神座は神が降臨する場所のことで、そこに神々を招き、舞踊的要素を伴った鎮魂のための行事をするのが目的でした。

島根県の神楽は、大きく「出雲神楽」「隠岐神楽」「石見神楽」に分けられ、石見神楽には宮廷で演じられる「御神楽」と民間の社中で演じられる「里神楽」が あり、「里神楽」はさらに出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽・巫女神楽などに分類されます。そしてこの石見神楽は出雲流神楽の系統に属するものです。出雲 流神楽は出雲佐陀大社(現在の佐太神社)の御座替祭を源流とする神楽であり、手にものを持って舞う「採物舞」と、ショー的要素が強く面をつけて舞う「神 能」で構成されていますが、「採物舞」と「神能」とを混合した神楽が広まり、そこから大元神楽などが生まれました。

  石見神楽は出雲流神楽の系統に入りますが、その発祥が佐陀神能から生じたものであるかは定かではありません。演目を見ると、佐陀神能と石見神楽には共通の ものもありますが違う演目も様々あり、佐陀の影響を受けたのは確かでしょうが、石見地方にすでに演劇化された神楽が上演されていたと考えるのが自然だから です。

  それでは「石見神楽の起源は?」ということになりますが、これについては関わる文献が限られているため、明確な答えは出そうにありません。しかし、せんじ 詰めると、素朴な古代信仰が時代と共に変革し、江戸時代に至って、神官が上演して神楽は、明治維新の神職演舞禁止令により、神官から土地の人々に受け継が れるようになり、新しい感覚が加わりました。これは、芸術的な気品を与え、出雲神楽に劣らない郷土芸能を育成しようとした試みでした。

  従って、民間信仰の農神にささげる田楽系の行事そのものが石見神楽の原型と言えるのではないでしょうか。それが平安末期から室町時代にかけて石見一円に根 を下ろし、さらに小神楽をも融合して石見神楽を形づくっていったようです。そして明治時代、石見神楽は大きな変化を遂げることになりました。従来は「6調 子」という穏やかなテンポであったのが、快活な石見の人々の性格・気性によくかなった「8調子」という速いテンポに改められました。

  囃(はやし)に用いる楽器は、大太鼓・小太鼓・横笛・銅拍手の各一で加除される例外はありません。笛は唯一のメロディ楽器であり、曲としては主要な意味を もちますが、事実上最も主要な役を果たすのは大太鼓で、全楽器をリードし、その巧抽は囃全体に決定的効果をもちます。またこの頃、上演者は神職から民間へ と変わってきており、このことも石見神楽が盛んに上演される大きな要因となりました。 
現在、石見神楽には、花形演目である「大蛇(おろち)」をはじめ、「鐘馗(しょうき)」・「塵輪(じんりん)」・「恵比須(えびす)」など30以上にもわたる演目があり、最近では新作の神楽もこれに加わっています。

 また、石見神楽で着られるあのきらびやかな衣装は、数多くある里神楽中でも独特のものであり、夜を徹して上演されることも特徴の一つとして挙げられます。各地域では、子ども神楽も盛んに行われてきており、次世代へと石見神楽が引き継がれていっています。

<六調子と八調子>

神楽の舞手が神職から氏子へと代わった後、浜田を中心としてそれまでの「六調子」のリズムに比べて、テンポが速くなった「八調子」の舞が生まれました。戦後、「八調子」神楽が浜田を中心として広まり、現在では主流となりました。
また、舞のテンポが速くなると、道具にも工夫が加えられました。それまでの木彫りの面では舞うのに重いため、和紙でできた面がつくられるようになりまし た。和紙製の神楽面は、石見神楽の特徴の一つと言えます。大蛇の蛇胴(じゃどう)も石見神楽では、和紙製です。


演目の紹介

塩祓(しおはらい)
四方祓い(よもばらい)とも言われるように「四方の神々よ、ここにお集まり下さい」という意味で、舞座を清める儀式です。多くの社中が石見神楽の基本の舞として演じています。

塵輪(じんりん)
塵輪という身に翼があって、自由自在に飛び行く大悪鬼が、何万という兵を連れて、全国の人々を殺し廻るので、時の天皇、14代の帝(みかど)、仲哀(ちゅうあい)天皇は、自らこれに向かって退治した。

八幡(はちまん)
九州豊前の国、宇佐八幡宮に祭られている八幡の神、八幡麻呂(やはたまろ)が異国から第六天の悪魔王が日本に飛んできて人々を殺しているので、自ら出向いて神通の弓に方便の矢をもって見事退治する物語です。

天神(てんじん)
時の右大臣、菅原道真(すがわらのみちざね)は左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)の作り事の悪口により、九州筑紫太宰府へ流されながらも、傍若無人の 左大臣時平がやがて王位を苦しめ、御心を悩ますこと必定として、これを討ち平げる場面を神楽化したものです。

岩戸(いわと)
御 弟 須佐之男命(みおと すさのおのみこと)の悪行に大御心を悩まされた天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天の岩戸(あまのいわと)にお隠れになり、 世の中は常闇となります。そこで天の兒屋根の命(あめのこやねのみこと)、天の太玉の命(あめのふとだまのみこと)をはじめとする八百万の神々達の神謀ら いにより、天の宇津女の命(あめのうづめのみこと)の御神楽の賑わいに少し開かれた岩戸を天の手力男の命 (あめのたぢからをのみこと)が懸命に開き、世の中に光が舞い戻ります。
この舞は、古事記・日本書紀を基とし、天照大御神の御神徳をたたえ、祭事及び神楽の起源を語ろうとするものです。舞手は、最後の喜舞で面を外し、神楽歌を歌いながら舞をまい、その土地の平和、繁栄を祈願します。

道返し(ちがえし)
常陸の国に住む武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、世界を股にかけて荒れ狂う大悪鬼が日本にやってきたので、これを迎え討ち降参させ、食料の多い九州高千穂(たかちほ)に追放し、九州地方の農業の振興を計らせたという、後に食物の神として祭られた。

十羅(じゅうら)
彦羽根(ひこはねの)の臣(しん)という悪鬼が無量無辺の風に吹かれて日本に飛んできて、日本の島を鬼が島として、鬼だけが住む国を作ろうと考え、諸人を 追い出し悩まし続けていた。それを聞いた雲州日御碕鰐淵山(うんしゅう ひのみさき がくえんじさん)に住む十羅刹女(じゅうらせつじょ)という女の神様 が彦羽根の臣を降参させ、元の国へ追い返した。

西大和(にしやまと)
別名:熊襲 (くまそ)、西日本(にしやまと)

景行(けいこう)天皇の息子の日本童男(やまとおぐな:別記「倭男具那」、別称「小碓命(オウスノミコト)」)が父の命により熊襲建(くまそたける)を討 つために九州に赴いたら、熊襲建や家来たちが新築の祝いをしているのでその席に女装して入りこみ熊襲建や家来たちが酔い潰れた時、日本童男が女装を解いて 襲いかかりかれらを切り殺します。熊襲建は死に臨み勇者である日本童男にタケルの名をおくりました。それが日本武(やまとたける)尊(のみこと)です。古 事記、日本書紀の物語です

鐘馗(しょうき)
岩戸開きの騒動の折り、神払いに追 い払われた須佐之男命(すさのおのみこと)は唐の国に渡り鐘馗と改名し、当時の疫病を悪鬼に例えて退治した。
鐘馗の持つ茅(ち)の輪は薬草に例えられ、又は夏越祭等に行われる悪病払いの輪くぐり神事の輪は、鐘馗の持つ茅の輪を例えたものという言い伝えがあります。

大蛇(おろち)
高天が原(たかまがはら)を追われた須佐之男命(すさのおのみこと)は中国大陸(唐の国)を徘徊した後、出雲の国、斐の川にさしかかると、河口で箸の流れ るのを見て、川上に人の住んでいる事を知ります。川上に上がってみるとそこに老夫婦と娘が嘆き悲しんでおります。命がたずねると、この奥山に大蛇が住み、 毎年出てきて娘をさらってゆき、8人のうち1人だけ残りました。そこで、命は大蛇に毒酒を飲ませて退治します。
このとき、大蛇の尾から出てきた一振の刀をむらくもの剣と名づけ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に捧げ、のちに草なぎの剣(つるぎ)と改名され、三種の神器の一つとなりました。
助けられた娘、櫛稲田姫(くしいなだひめ)は須佐之男命と結婚し、地方の産業治水に努力されました。

(参考資料)

大江山(おおえやま)
一条天皇の御代、丹波の国、大江山に酒呑童子という悪鬼が多くの手下を従えてたてこもり、女をさらい、農作物をあらし庶民を苦しめる悪行を重ねるため、時 の帝は当時武勇の誉れ高い、源頼光に命じて悪鬼を征伐する事となり、頼光は、渡辺綱・坂田金時ら四天王の面々と修験者に変装して大江山に向かい、ついに悪 鬼を征伐した。

恵比寿・大黒(えびす・だいこく)
出雲の国、美保関神社の御祭神、大国の命の御子におわしたまう、事代主の命で、通称恵比寿様を七福神の一柱の大黒様共々めでたい鯛を釣り上げられる。

黒塚(くろづか)
法印(山伏)が剛力を連れて修験道のため諸国行脚の途中、みちのくの国、那須野ヶ原にさしかかり、老婆のすむ山中のあばら屋に宿を借りました。この老婆こ そ万民を害する、三国無双の妖婦金毛九尾の大悪狐でした。法印は仏道修行のお陰で祈り続けていると三浦の介、上總の介という二人の弓取りが現れ大悪狐を退 治したという一説であって、神楽の中に仏道を取り入れた異色の神楽です。

羯鼓・切目(かっこ・きりめ)
紀伊の国、熊野権現の切目の王子に仕える神禰宜が高天原から降りた羯鼓太鼓という宝物をよく鳴る所に工夫して据えようとして舞う。切目は、羯鼓の演目と連の舞いを形作っていて、羯鼓の中の切目の王子が主人公として舞い、天地の根本の力をとこうとする。

動画のご紹介(津和野スクリーンプロジェクト)
鍾馗1     鍾馗2    恵美須

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